奇人変人がいつまでも同意を得られないのは当然
ここ最近モヤモヤしてることをイノベーター理論になぞって考えたら、ちょっとスッキリしはじめました。
別にワタシはイノベーターでもアーリーアダプターでもありません。
そもそもそんなマーケティング理論に分類されるのはウンザリですし、無能なワタシにそんな能力はありません。
新製品が出たときはまず横からじっと見てるだけ。
手に入れたいという欲求もなく、並んで買ったり、羨んだりする思考も皆無。
むしろその製品が落ち着いて、故障も機能もこなれ、価格が安くなってから、よっこらしょと重い腰を上げる消費行動です。
ただ、
SNSなんかを見てると、
その話題の本質はもっと別のところだろう?
今、ステレオタイプなその言葉と感情を出すことになんの恥じらいもないのか?
論点がズレていて、話したいことの中心は自慢だけじゃないか?
いつもそんなストレスを抱えつつ、暇つぶしにSNSを見てしまいます。
残念ながらワタシには文才がないのでそのモヤモヤを言葉にすることは出来ません。
そもそも誰に何かをどうするという結果があるわけではなく、ただ青春の蹉跌のような青臭い感情のぶつけ合いでしかないので、言葉にしたって意味がない。結果黙る。相変わらずモヤモヤの継続。 そんな毎日です。
いやそうじゃないだろう?
と常に世間に思わずにはいられない。
この感情をイノベーター的に処理すれば、、、
そんなことに気づいてない人が多数なんだから同意を得ようとしても無理。となり、少し気が楽になります。
どうせ同意は得られないし、説明するのも難しい。
世の中にはいけ好かないけど、どうやらこの人の言ってることは未来に向けて本質らしい、という人が何人かいます。
ホリエモン、キンコン西野さん、いわゆるワイドショーのコメンテーターには呼ばれないタイプ。
イノベーターには独特の匂いがある気がします。
いけ好かないけど言ってることは間違ってない。でも基本他人に嫌われる。
時代が変われば、奇人変人という分類で処理される。
しかしこの先の未来を占うには、この匂いを持った人を取捨選択する鼻の効き方が重要。
ということは普通の人もなんとなく感じてる。
そこに権威や経歴が伴えば「有識者」となるんでしょうが、大きな団体から有識者として呼ばれてる段階でそれらの人々は「もうこれは違うな」と違和感をもって去っていくことでしょう。
そんな有名人はともかく、
自分にとって毎日のモヤモヤは息をするように絶えないわけで、それを少しでも建設的な行動に変えるにはひたすら出力し続けるしかない。
文章が苦手なら映像・音声。ネットが苦手ならリアルイベント。
これは誰のためでもなく自分のための行動。
そのモヤモヤをなんとか言葉や表現にした瞬間、世界中に10人ぐらいは同意してくれる人がいて、その人たちにとってもよくぞ言葉にしてくた! という救世主になることもあったりする。
最近「これ流行ってるんですよ」というものを、流行ってるからという理由で調べないようにしています。せいぜい自分にとって好きか嫌いか判断する程度。
「これ流行ってるんですよ、知らないんですか?」
と聞かれたら、
流行ってるからって調べることはもうやめた。
それはあなたにとって楽しいもの?少し教えて。
と言えば喜んでお話してくれるでしょう。
情報としては面白いし、一定の楽しい空気にはなる。
また、そこで的を得ない、熱量のない説明しか出来ない人は所詮その程度の「好き」でしかない証拠。
もう相手にする必要はありません。
人は暗に理由を見つけようとします。
流行ってるもの、人が並んでる風景を見れば、「これなんですか?」と聞くシーンに何度も出くわしたことがあります。
ある種の動物的危険回避能力のひとつ。
いいことがあれば野次馬にのりたいし、悪いことがあればその場から立ち去るべき。
流行りを見て分析したがる感情の根っこはそんなもんでしょう。
重要なのはそこに「自分の感性」が伴ってるか。
ほんとは「自分が好きな流行」だから追ってるにもかかわらず、これは全国的ブームだから乗るべきだ。
などと一般的真理のように語りたがる気持ちが
「知らないんですか?流行ってるんですよ」という言葉になる。
いわんや知らない人を糾弾するネタを見つけて自分が優位に立てる。
これはいつでも使いたい悪魔の言葉になるわけです。
つまりくだらないのです。
これからも、
いいねもRTもハートマークもつかない、荒野の原野を歩く覚悟をして、モヤモヤした本質論を死ぬまで屁理屈こきたいと思います。
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