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全国民が語り部になる覚悟を 3.11

2015/03/11
思うこと 0
<再掲 2015.3.11>
私の生まれた東京下町は東京大空襲で甚大な被害を受けました。
私の小学校では年に一度、必ず空襲を学ぶ映画を見て、語り部の方がその様子を語る会が全校生徒を集めて開かれてました。

語り部さんが話す「そこの橋にはたくさんの死体が浮いていて..」という悲惨な話を聞いても、現在のきれいな町並みとはまったく繋がらず、ピンと来ないで聞いている状態でした。
ただ、子供心に怖い映像を見て、悲惨なお話を伺うことにより、戦争は怖いものという絶対的な気持ちが植え付けられた気がします。
この話を大学生の頃に友人に話すと、そんなことやってるんだ?と、初めてこの活動が私達の地域独特のものだったことを知ります。

大人になってからこの感情はもう少し変化していきます。
具体的にどういう惨状があったか。
爆撃機はどこから攻撃し、火災はどのように起きて、逃げ遅れることになったか。
この反省を通して下町の街づくりはどのように変化していったか。
より冷静に見れるようになる。そのようなテレビ番組を見るときも我が事のように興味を持つ。
それはやはり「地元で起きた悲惨なこと」というローカリズムが根っこにあるような気がします。


2015年3月、すでに震災のあの日を知らない子たちは4歳になります。
今はまだ復興の進んでない地区も多いですが、年ごとに物理的な傷跡も減っていくでしょう。
それが望んでいた復興ではありますが、同時に風化していくことは避けられない。文字通り時間の問題です。

しかし、もし東北の当事者でなくても「あの日、あの時」を語る語り部として、あの時日本にいた人たちはいくらでも話すことはあります。

海沿いの地域は地震と津波という2つの災害があること
原子力発電と付き合っていくこと
風評被害について
震災がれき処理を押し付け合う人の業
世界から避けられる日本、そして世界から助けられる日本
移住するということ
テレビCMが全部同じものになったこと
突然家族を失うこと
東京は地方あってこそ成立してる都市だということ
安定的な電気があってこそ成立する近代社会
安全な水や食料あってこそ成立する生活
大きな災害時に国家が先導していく意義
何があっても故郷を大事にしたい生物としての欲求
お互いが助けあって生きていくこと

この感覚を少しでも多く濃密に残していく。
テレビ局やメディアに頼ることなく、それぞれが語り部になって、一言でも一文字でも多くの何かに残していくことは日本人の未来にとって重要な財産になる。
それはきっと100年後の日本人に感謝されます。
原爆ドーム、広島長崎資料館、墨田区慰霊堂の空襲資料館、1945年の東京空襲時の米軍映像。それが今でも貴重な資料として扱われるように。

奇しくも東京大空襲は3.10 3.11の前日。
戦災と震災では理由が違いすぎますが、どちらも今の平和を噛み締められる貴重な二日間となりますね。
この時期に胸が締め付けられる辛さに悲しむ方も多いでしょう。
しかし、過ぎ去る時間はその思いを意味あるものにしてくれる気がします。
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O.W.ガレージ 大木貴博
Author: O.W.ガレージ 大木貴博
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