恵方巻きもそのうち日本の伝統行事になる。流行ったものの「経緯」ぐらいは覚えとこうよ
流行ったものの「経緯」ぐらいは覚えとこうよ
最近2月の風習として定着しだした恵方巻き。
どっかの地方での風習だったんでしょうけどイベントごとの少なかったすし系業界がこれに反応し、年中行事として業界上げて盛り上げてる。というとこでしょう。
あと30年ぐらいしたらそんな経緯が日本全国で古来からあった風習のように語られるようになる気がします。
個人的に、それに乗ってるお客さんが楽しんでて、経済が活性化すればそれでよいと思います。
バレンタインやハロウィンの由縁などクソ食らえです。その節操のないブラックホールぶりが日本人のいいとこです。
但し、そんな経緯も分からずしたり顔で「これは古来日本の年中行事として国民に親しまれてきた」みたいに流儀や作法を語られるのはちょっと不愉快です。
新聞配達
が始まったのも明治。
http://blogs.yahoo.co.jp/paperboy0506/31370676.html
おそらく国民的に毎日紙面で情報を得るようになるのは大正、昭和に入ってからでしょう。
1日三食食べる週間も明治あたりから始まったと聞きます。
そんな経緯も知らずに例えば「1日三食きちんとバランスよく食べないと死ぬ」的なニュアンスで語られるのはほんとに頭が悪い気がします。たった200年程度の風習でしかないのに。
私は東京下町
江東区出身なので小学生の頃からスナック感覚でもんじゃ焼きを食べてました。1970年の初めあたりですね。
当時は町内にも駄菓子屋が数店あって、それぞれが副業的に奥座敷にもんじゃスペースを置いて子どもたちが遊び感覚で、大人に邪魔されずに粉物を楽しんでました。
1人で行っても仲間がいることがあるので便利なコミュニケーションスペース。
今で言うアフタースクール、学童保育ですね。
ちなみにあの時通ってた駄菓子屋は現在すべて廃業されました。
<↑ ほんとにこんな感じ ↑>
ウィキペディアにもこの辺詳しく書いてありますね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%82%E3%82%93%E3%81%98%E3%82%83%E7%84%BC%E3%81%8D
私は体感として覚えてたのでもんじゃ焼きなんてそんなものと理解してました。
それがおそらく東京では月島の町おこしとともにもんじゃ焼きがブランド化して、利益の取れるレストラン食材として昇華していったのが現在のもんじゃ焼きの姿でしょう。(個人的想像です)
激安から高級まで揃ってるお好み焼きと比べてもんじゃ焼きは高いものしか残らなかった。
そこで「流儀やマナー」が生まれます。
あるとき会社帰りに
もんじゃ焼き屋に寄ると、グルメな同僚が解説を初めます。
もんじゃは土手を作ってこうやって焼く。
熱くても小ベラを使って直接食べるのがマナーだ。
皿にとって食べるのは通じゃない。。。などなど
ほんとですか?!
同じ「もんじゃ焼き」でも子どもが食べてるものと大人が楽しむものとでは単価も環境も違う。そこにマナーが生まれるのは分かります。
しかし私は毎週土曜日の遊び道具としてもんじゃを食べてたので、そんなものに流儀やマナーを語られるのが衝撃的でした。
そんなもんは好きに食べればいいんです!!
同時に、取るに足らない文化が「格」を得ていかにもたいそうなものに上がっていく瞬間を見た気がしました。
きっと寿司や蕎麦もそういう存在だったんだと思います。
流儀や風習やマナーなどは勝手に作られていく。
時にはそれを楽しむ人たちの要素として付加されていく。
そうやって食材や料理に「格」を与え、さも大したもののように演出される。文化はその連続なんだと体感しました。
というわけで2015年に生活されてる皆さん。
恵方巻きは2005年頃にすし業界やコンビニ主導で広まったことを記憶しておきましょう。
そして美味しい恵方巻きを楽しみましょう。

最近2月の風習として定着しだした恵方巻き。
どっかの地方での風習だったんでしょうけどイベントごとの少なかったすし系業界がこれに反応し、年中行事として業界上げて盛り上げてる。というとこでしょう。
あと30年ぐらいしたらそんな経緯が日本全国で古来からあった風習のように語られるようになる気がします。
個人的に、それに乗ってるお客さんが楽しんでて、経済が活性化すればそれでよいと思います。
バレンタインやハロウィンの由縁などクソ食らえです。その節操のないブラックホールぶりが日本人のいいとこです。
但し、そんな経緯も分からずしたり顔で「これは古来日本の年中行事として国民に親しまれてきた」みたいに流儀や作法を語られるのはちょっと不愉快です。
新聞配達
が始まったのも明治。
http://blogs.yahoo.co.jp/paperboy0506/31370676.html
おそらく国民的に毎日紙面で情報を得るようになるのは大正、昭和に入ってからでしょう。
1日三食食べる週間も明治あたりから始まったと聞きます。
そんな経緯も知らずに例えば「1日三食きちんとバランスよく食べないと死ぬ」的なニュアンスで語られるのはほんとに頭が悪い気がします。たった200年程度の風習でしかないのに。
私は東京下町
江東区出身なので小学生の頃からスナック感覚でもんじゃ焼きを食べてました。1970年の初めあたりですね。

当時は町内にも駄菓子屋が数店あって、それぞれが副業的に奥座敷にもんじゃスペースを置いて子どもたちが遊び感覚で、大人に邪魔されずに粉物を楽しんでました。
1人で行っても仲間がいることがあるので便利なコミュニケーションスペース。
今で言うアフタースクール、学童保育ですね。
ちなみにあの時通ってた駄菓子屋は現在すべて廃業されました。

<↑ ほんとにこんな感じ ↑>
ウィキペディアにもこの辺詳しく書いてありますね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%82%E3%82%93%E3%81%98%E3%82%83%E7%84%BC%E3%81%8D
私は体感として覚えてたのでもんじゃ焼きなんてそんなものと理解してました。
それがおそらく東京では月島の町おこしとともにもんじゃ焼きがブランド化して、利益の取れるレストラン食材として昇華していったのが現在のもんじゃ焼きの姿でしょう。(個人的想像です)
激安から高級まで揃ってるお好み焼きと比べてもんじゃ焼きは高いものしか残らなかった。
そこで「流儀やマナー」が生まれます。
あるとき会社帰りに
もんじゃ焼き屋に寄ると、グルメな同僚が解説を初めます。
もんじゃは土手を作ってこうやって焼く。
熱くても小ベラを使って直接食べるのがマナーだ。
皿にとって食べるのは通じゃない。。。などなど
ほんとですか?!
同じ「もんじゃ焼き」でも子どもが食べてるものと大人が楽しむものとでは単価も環境も違う。そこにマナーが生まれるのは分かります。
しかし私は毎週土曜日の遊び道具としてもんじゃを食べてたので、そんなものに流儀やマナーを語られるのが衝撃的でした。
そんなもんは好きに食べればいいんです!!
同時に、取るに足らない文化が「格」を得ていかにもたいそうなものに上がっていく瞬間を見た気がしました。
きっと寿司や蕎麦もそういう存在だったんだと思います。
流儀や風習やマナーなどは勝手に作られていく。
時にはそれを楽しむ人たちの要素として付加されていく。
そうやって食材や料理に「格」を与え、さも大したもののように演出される。文化はその連続なんだと体感しました。
というわけで2015年に生活されてる皆さん。
恵方巻きは2005年頃にすし業界やコンビニ主導で広まったことを記憶しておきましょう。
そして美味しい恵方巻きを楽しみましょう。
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