「映像とWebの便利屋」O.W.ガレージのやつが送る映像とWebとその他 (江東区)

作法や流儀やマナーは勝手にできていくもの

2012/11/22
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作法や流儀やマナーは自然に発生し、また自然に変化していくもの。
同席してる人を不快にさせちゃいけませんが、「これが作法でしょ?」という実体のない慣習に振り回されないようにして、妙な説教をかざさないのものまた人生のマナーのような気がします。

今から35年以上前、小学生の自分の土曜日は駄菓子屋のもんじゃ焼き屋で過ごすのが楽しみでした。棚に陳列してある体に悪そうなウィンナーを適当に刻んで入れて一緒に焼く。
もんじゃの身だけ焼いて薄くなった汁だけを焼いて、煎餅だーとか言いながら食べる。
熱い鉄板の上だと小学生には熱過ぎるので、皿を借りてゆっくり食べる。
普段は親に注意されそうなふざけた食べ方もここなら何も言われません。食べ物をおもちゃのようにしながら、隣の席でゲームやってる友人を冷やかす。1週間で一番楽しい至高の瞬間でした。

そんな時間から何十年後。
もんじゃ焼きが町おこしのタネになり、月島や門前仲町でお店がたくさんできました。
社会人になってからそういう店に行くと、あの時とは比べものにならない高級食材が乗ったもんじゃ焼きなどがあって、ちょっぴり高級な食べ物にもなってました。

そこで、土手を丸く作って真ん中に汁を流すという作り方を初めて習う。
また鉄板の上でヘラで焼きながら食べるのが粋でありマナーであると。

アホか。

そうやって焼くと効率がいいのは分かりますが、もんじゃなんて下町のジャンクフード、楽しく食べればそれでいいんです。
ジャ~と汁が鉄板の上に散らばって見た目も悪いし作りにくいのは確か。
ただそれをマナーだのなんだと説教たれる事がなんてバカらしいことか。
粋じゃないから熱いのを我慢してちっちゃなヘラで苦労して食べる。そんな不毛なマナーなんかいらない。
同席者が不快にならない限り、いかにおいしく楽しく食べるかがテーマであって、マナーの語り部を気持ちよくさせるのが目的じゃありません。

そこで気づきます。
何事も歴史を重ねるとなんでもかんでも粋とかマナーとか作法なんてものが生れてくんだなと。

わけ知りの人間が「美しい」方法について自論を展開し、いつしかそれがルールのようになっていく。

その昔、お寿司は屋台で売ってたものだと。その時はネタのほうに醤油を付けるのが粋とか作法とかそんな文化はなかったでしょう。

何百年の時を経て、出し手が商売しやすいように高級な食べ物になり、自然に作法とか粋とかを語りだして今の文化になる。きっと蕎麦なんかもそんなルーツなはず。

そんなことが分かってから、食べ方の粋とか作法とかマナーは一体なんのためにあるのか。
私も語りたがりの方ですが、○○が粋 ということについ調子に乗って話さないように気を付けよう、ちょっぴり決意した次第です。

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O.W.ガレージ 大木貴博
Author: O.W.ガレージ 大木貴博
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