「映像とWebの便利屋」O.W.ガレージのやつが送る映像とWebとその他 (江東区)

今まさに歴史の目撃者

2011/03/21
文化人類 0
震災後1週間が経ち、ニュースの映像は凄惨な被災現場から少しずつ「今何が欲しい」や避難所の人間模様に移りはじめてます。
とはいえ残酷な場面であることに変わりなく、何万人という犠牲者の、その周りの方々のそのまた周りの何倍の何十万という人たちが、今このタイミングで涙してると思うと胸が痛みます。

一部ではニュースの実利を優先したメディアのやり方が非難されてます。
しかしそれでも私たちはこの光景を見とかなきゃいけないと思ってます。

私たちは偶然にも1000年に一度の大災害の一瞬に立ち会うこととなりました。
きっと、少なくとも向こう100年はこんな大災害は起きないかもしれません。
誰でも嫌な事は忘れたいわけで、きっと5年もしたら少しずつこの3月の思いでは薄らいでいくことでしょう。 もちろん忘れることは人間の重要な生命維持機能ですし。

但し、災害に対する心構えは未来の日本人のために延々と語り継いで行かなければならない。今まさに流れる日常のいろんな事象とその対策はきっと未来に役立ちます。
これを記録して後世が役立てるようにする。これがきっと目撃者の使命なんです。

私の生まれ育った下町は東京大空襲で多くの犠牲者が出た場所で、小学校のときによくその手の教育コンテンツを見させられました。

空襲を描いた人形劇の映画の上映や、語り部の方を招いての講演会。おそらく年に1回は全校生徒で見る機会があったはず。
いつも自転車で通るすぐそばの橋で、ん10年前にたくさんの犠牲者が亡くなっていた話を聞くと子供心にとても怖かったし、「戦争は怖いものだ」という概念を植え付けられましたし、こんな授業は全国どこでもやってるもんだと思ってました。
ちなみに、コンテンツには日本人らしく鬼畜米英への憎しみは描かれず、戦争が引き起こす悲劇と翻弄される民間人について描かれているのみです。

しかし社会人になりその話をすると、むしろ小学生時代にそんな学習を受けた人が少ないことに気づき、「被害地域」だからこその教育だったんだと気づきました。
(きっと日教組系の先生が多い小学校だったせいもあるのかも・・?)

それに気づくにつれ、悲惨なことが起きた事実を受け継がなければならないと感じるようになりました。

地震から1週間とちょっと。
こうやって毎日刻々と変わる日常は、実はとても貴重な1日1日なんじゃないか。

さっきコンビニに行ったら空っぽだったパン棚に、一杯の商品が並んでました。(牛乳、カップ麺コーナーはまた空のまま)

地震の現実的な被害以外に、主力発電所の電力が絶たれ、放射性物質を恐れ、電車が動かず、帰宅難民に苦労して、ガソリンが出荷できず、物流網が乱れる。。。
都心に住むものとして「あの当時こんな感じだったよ」という状況はなるべく記録しておく必要があるのかもと感じてます。

もしん10年後、あなたがこの大震災を語るとき、何について、どう語りますか?
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O.W.ガレージ 大木貴博
Author: O.W.ガレージ 大木貴博
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